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Minoltaの思い出

SRT-101


Minoltaのカメラには縁がなかった。
私が関東地方で生まれ育ったためであろうか?
親戚にも友人にも5大メーカーの内Minoltaだけは殆ど使用者が居なかった。唯一記憶にあるのは親父のSRT-101(だったと思う)を友人が一度だけ持ってきた。
そんなわけで、X-7のCMは印象深かったが、実物はさわったこともなかった。
写真のSRT-101は、5年ほど前(だったと思う)に今は無き秋葉のマップカメラでボディーのみ購入した。
使用してみて、ファインダーのすばらしさに驚いた。しかし、Pentaxと絞りもシャッターもおまけにピントまで操作方向が逆で、一緒に使うとかなり混乱した。
それでもファインダーのすばらしさ、一部ライカにも採用されているレンズ群に魅了され、28mm~135mmまで、7本の交換レンズを手に入れ、更にM42アダプターまで入手し、ボディーも5台ほどまで増やしたがしばらく後には殆ど使用しなくなってしまった。

理由は、ストラップ吊り環の位置が私の手に合わないのである。
SRT系はサイズが大きいのでそれほど気にならないのだが、X系の場合、右手側がどうも決まらず、それが気になってだんだん使用頻度が減り、XE,XG-s,XG-eは手放してしまった。
SRT2台と、レンズは残してあるのだが、これとて積極的理由で残した訳ではなく、手放すにも幾らにもならないからである。


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EOSの思い出

EOS 650


CANONからEOSが発売された頃、カメラには殆ど興味を持っていなかった。(正確には一眼レフに)当時使用するカメラといえば、110カメラ(コニカの防水)や、安いという理由で買った京セラの2焦点カメラで、写りは全く重視していなかった。
したがって私がEOSを手にするのは、既に10や、100が発売されていた頃である。(Kissはまだ出ていなかったと思う)
きっかけは以下の通りである。

妻と知り合った頃、カメラ熱は冷めておりSLもFX-3も持ってはいたが出かけるときにはコンパクトカメラを使用していた。
しかし旅行などできれいな写真を残したいときには、やはり一眼が必要だと思い始めていた。そんなとき彼女が実はEOS-650を持っていることが分かり、その後は私が主に650を使用するようになった。
結婚して子供が生まれると、ご多分に漏れず撮影する枚数が飛躍的に増加した。しかしカメラはビックミニと650に35-105ズーム一本で満足していた。
子供が幼稚園に入園し、イベント時に望遠が必要になってきた頃、75-300ズームを中古カメラも扱っている店で購入し、それからカメラ熱が再燃し始めた。
最初は雑誌で話題になっていたロシア製レンズに興味を持ち、M42-EFアダプターを購入し、650にMC JUPITER9 85/2を取り付けて楽しんでいた。
しかし、650のファインダーがEOSの中では優れているとはいえ、やはりMF向きではなく、他のボディーを使用したくなってきてしまい、結局EOSは、運動会、学芸会などの望遠専用になって今に至っている。


Yashicaの思い出




初めて自分で購入したカメラが、Yashica FX-3だった。
ボディー、レンズ(50/2.0)ケース込みで4万円強であったと記憶している。購入したのはコイデカメラで、KOIDEブランドのスカイライトフィルターをサービスしてもらった。

このカメラを選んだ理由としては、一眼レフ5大メーカーの製品は、高額で手が出なかったためと、月間カメラマン誌上でのPR記事(高校生くらいのアマチュアが、FX-3を使用して写真入門するような内容)、そしてなんと言っても数年前に発売され、カタログで脳裏に刷り込まれていた「いつかはZeiss」という夢があったからである。
(しかし、Carl Zeiss レンズを手に入れる前に、写真趣味は遠のいてしまったため、このボディーがZeissと出会うには20年以上の歳月が必要であった。)

手に入れた当初は、とてもうれしく、色々と撮影した。
特に今でもはっきり記憶しているのは、当時つきあっていた彼女のポートレートで、モノクロフィルムをダークレスで現像し、学校の暗室でキャビネ版に焼きつけた1枚である。
その写真はとっくに手元にないのに、どのような画であったかは、鮮明に記憶している。
同じような記憶は他にもあり、20数年前に訪れた錦帯橋で撮影した写真もどのような構図で、誰を写したか憶えている。

上手に撮れた写真は、その後何度も見直すためか、撮影時の記憶以上に、写真を憶えているようである。


長年活躍した(仕舞い込まれていた期間も長いが)FX-3も取説のみ残して、今は手元にない。
ぼろぼろになった外皮を牛革に張り替え、思い出として手元に置こうかとも考えたが、精神的に身軽になりたい気がして、手放してしまった。

Pentaxの思い出

Pentax SL


初めて撮影に使用したカメラが、Pentax SLだった。レンズはスーパータクマー55/1.8で、フィルムはネオパンSSをつめ、家の周りの風景や飼っていた犬など撮影した記憶がある。

このカメラはベストセラーのSP(今でも中古カメラ店に必ずある)から、露出計を省いた廉価モデルで、父が知り合いのカメラ店で中古購入したものであった。

既にAE-1が発売されていた頃なので、かなり時代遅れの感じがした。
「露出」「被写界深度」などという概念が無く、フィルム外箱の数値を頼りに撮影したが、モノクロネガでもあり、まともに写っていた。

このときの経験が、後々まで(今に至るも)Pentaxファンになった原因だと思う。
その後自分専用の新しいカメラが欲しいと思い、カメラ店でカタログをもらっては、穴が開くほど見つめていた。

中学に入学すると、私の周囲で(全国的にも)一眼レフブームが起こった。
友人たちが、AE-1p、OM10、MEs等を買ってもらう姿をうらやんでいたが、我が家はそれほど裕福ではなく、それらの新型カメラをねだることはできなかった。
テレビでは今でも時々話題になる、あの有名なX-7のCMが放映されていた。とてもまぶしかった。


数年前に大流行した、中古カメラブームはこのような経験をした当時のカメラ小僧たちが、当時の憧れのカメラを購入するのに、最適なブームだったのではないだろうか?
私自身、ブームに乗りかなりの数のカメラを買い売りした。
しかしブームの終焉と共に私の嗜好も、デジカメに移り、今は数台(十数台?)を手元に残すのみである。もちろんSLは、大切に保管してある。

錦帯橋

先週訪れた岩国錦帯橋が、台風14号による被害を受け、橋脚が二つ流された模様です。
大変残念なことで、早期の復旧を望みます。
しかし、錦帯橋は実生活に直結しているわけではなく(観光資源ではありますが)家屋等を流失された方に比べれば、たいしたことではないのかもしれません。
私の住まいも川沿いにあり、大雨の時には非常に心配になります。

今般の台風、大雨、ハリケーンの被害に遭われた方々に対する、手篤い措置を行政には期待したいところです。

20数年ぶりに




錦帯橋に行ってきました。
修学旅行以来なので、20数年ぶりです。
当時は橋を往復しただけでしたが、今回は対岸にわたり、岩国城も見学してきました。城は、40数年前に建築されたもので、あまり見学する価値を感じませんでしたが、下から見上げて撮影するには、絶好のポイントです。

050830_001.jpg


上から錦帯橋が見下ろせます。
観光シーズンを外した、平日に訪れたためか、のんびり見学できました。
プロフィール

KITA

  • Author:KITA
  • 色々と、興味の対象が移り変わっておりますが、結局また元の趣味に戻っていくのかな?
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